編集者・ライター・カメラマン。人の懐にすっと入っていくキャラクターを活かした取材が得意。
2024.03.01
忙しい日々の中で、働く人々はどのように頑張っているのだろうか。仕事観やスキマ時間の過ごし方などを、リラックスしながら対談していただく『リラックス対談』。
前編に引き続き、登場していただくのはプロレスラーの小島聡さんと、バンド・LOVE PSYCHEDELICO(ラブサイケデリコ)のNAOKIさん。
前編では運命的な出会いから、リラックスタイムの過ごし方、そしてお二人に共通するプロレスについて話していただきました。
後編では音楽とプロレスというそれぞれの領域から思う、“見せ方”についてや、仕事への原動力、そして長年のキャリアを振り返って思うことなどについて話が展開していきます。
小島 聡
1991年、新日本プロレスでデビュー。天山広吉とのタッグ、”テンコジ”でIWGPタッグ王座を獲得するなど、活躍を見せる。2002年に新日本プロレスを退団し、全日本プロレスに移籍。2005年には三冠ヘビー級王座を獲得し、さらには新日本プロレスで開催された天山広吉とのIWGP・三冠のダブルタイトル戦を制し、史上初の四冠王者となる。2010年に全日本プロレスを退団、約1年のフリー期間を経て再度新日本プロレスに入団した。2022年4月30日の両国国技館大会で、丸藤正道のパートナー”X”として久々のNOAHマットに登場した。同年6月のCyberFight Festival 2022で、潮崎からGHCヘビー級のベルトを奪取、史上4人目のメジャー三団体のシングルベルトを制覇する”グランドスラム”を達成した。
NAOKI (LOVE PSYCHEDELICO)
2000年4月21日、シングル『LADY MADONNA~憂鬱なるスパイダー~』でデビュー。2001年1月に発表された1stアルバム『THE GREATEST HITS』は200万枚、翌年2002年1月に発表された「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」も100万枚を超え、2作連続ミリオンとなる驚異的なセールスを記録。現在までにシングル14枚、オリジナルアルバム8枚をリリース。NAOKIの卓越したギターテクニックとKUMIのヴォーカルスタイルが、印象的なリフ、日本語と英語が自由に行き交う歌詞によって、LOVE PSYCHEDELICO独自の音楽スタイルを確立している。2023年9月に最新シングル「All the best to you」を配信リリース。2024年5月にはライブ映像作品「Premium Acoustic Live “TWO OF US” Tour 2023 at EX THEATER ROPPONGI」のリリースが決定。現在ビルボードライブにて「Premium Acoustic Live “TWO OF US” Special Night」を開催中。
音楽とプロレスの“見せ方”。熱狂を生むために意識していることとは
── 前編はお二人の出会いから、リラックスタイムの過ごし方などについて語っていただきました。後編はお互いの仕事の共通点やキャリアについて語っていただけたらと思います。音楽とプロレスという異なるキャリアですが、それぞれに共通している部分はどんなところでしょうか?
小島:僕らは音楽とプロレスという異なる業界ですが、お客さんあっての職業ですから、常に“見せ方”はお互いに意識していると思いますね。プロレスは対戦選手と戦いながらリング上で自分を表現し、さらに観ているお客さんたちも巻き込んでいかなければならない。360度見られている中で自分を表現するというのは、キャリアを重ねていく中で、より考えるようになってきましたね。
NAOKI:やはりキャリアを重ねていくと戦い方も変わっていくものですか?
小島:そうですね。若いときは本当に目の前の対戦相手しか見えていなくて、「どんな方法でも良いから勝てれば良い」という考え方だったのですが、キャリアを重ねていけばいくほど、お客さんの方に目を向けられるようになってきましたね。会場の雰囲気が、静かなのか、賑やかなのか。もっと細かく言えば、静かな場合でも、皆が試合に集中して静かになっているのか、つまらなくてただ静かになっているだけなのか。常に敏感に察知しなければならなくて。
小島:とはいえ、お客さんだけを意識するのも違っていて、もちろん自分が勝つ喜びも感じたい。様々な感情を意識しながら試合をしていて、それがうまくリンクすると、客席とリング上に一体感が生まれて、熱狂的な試合ができるんですよね。全員が熱狂している中でやる試合は最高ですから。
── 観客と相手、そして自分の感情と向き合いながら、絶妙な感覚でプロレスは成り立っているのですね。小島さんの中で、そのバランスがうまくいったという試合はありますか?
小島:そうですね。最近ですと昨年6月のカナダでの試合で、世界的に有名なCMパンク選手と試合ができたときですかね。あれだけ有名な方と試合ができたというのがまず嬉しかったですし、なにより試合内容がすごかったんです。何万人ものお客さんが動員された会場の中、彼らの声援で震えるリング上でCMパンク選手と戦う。結果的には負けてしまったのですが、自分のプロレスキャリアの中でも、あれだけの大熱狂の中で試合ができたのは大きな意味があったと思います。
NAOKI:小島さんって自身の試合についていつもは多くを語ってくれないんですけど(笑)、日本に帰ってきて話をしたら、珍しく興奮した様子でこの試合のことを話してくれましたもんね。
盛り上げるために、会場の大きさや雰囲気でアドリブを変えていく
小島: NAOKIさんのライブに行くと、本当に見せ方もかっこいいし、会場の熱気もすごいじゃないですか。その点いかがですか?
NAOKI:小島さんがおっしゃっていた見せ方は、音楽にも共通する部分がありますね。例えば、お客さんの顔が見えるくらいのライブハウスと、アリーナとでは同じ曲でもギターパートのアドリブって自然と僕は変わるんですよ。具体的にいうと、ライブハウスでやるときは、近いから音もはっきり聴こえるし、観客も目視でギターの指の動きまで追えるでしょ? だから自然と細かいフレーズが多くなるし、武道館などの大きな会場では長いフレーズをゆったりしたチョーキングで魅せていく方が感情が会場全体に伝わりやすかったりするんです。
小島:会場の規模によってアレンジが違うんですね。
NAOKI:大きな会場はその分すごく響くので、細かいフレーズがあまり伝わらないんですよね。だからこそ、遠い席の人も楽しめるように長くゆったり弾いていく。逆にライブハウスでのギターソロは音数を増やして盛り上げると、ワっと湧いてくれる。あとはお客さんの温度感を見ながらですよね。僕もキャリアを重ねて、様々な場所で、様々なお客さんの前で演奏するようになって、わかってきたことがありますね。
小島:アドリブという言葉はすごくしっくり来ましたね。僕も試合の中で、攻撃の仕方をちょっと変えてみようとか、身の振り方とか、そういうのはわかってくるようになってきましたね。
NAOKI:アドリブの入れ方はその日の空気感や流れもありますよね。僕はそこもプロレスから学んだというか。前に藤波辰爾さんがアメリカのマディソン・スクエア・ガーデンかどこかで戦った試合を観ていて、とにかく凄く大きなアリーナだったんですね。あの試合の藤波さんは普段と少し違った所作があって、最初グランドでしばらく相手と揉み合って、地味な攻防だったんですけど、そんな揉み合いでも後ろから覆いかぶさるときには遠くのお客さんからも見えるように、腕を一回バッと広げ振りを作ってから、相手に飛びかかっていたんですよ。あの動きのメリハリの付け方っていうのは、やっぱり長い経験が成せる所作だと思うんです。
小島:そうですね。人の感情を揺さぶる「何か」を僕は模索している状態なので、一つでも印象に残るシーンをお客さんに持って帰ってもらいたいですね。
緊張とうまく付き合っていくということ
── “リラックス”とは反対の“緊張”についてもお伺いできればと思います。お二人は何万人と見ている中で、音楽やプロレスをしてきたと思いますが、今でも緊張することはあるのでしょうか?
小島:緊張は、今この年齢になってきて、キャリアが長くなってからするようになってきたんですよね。
NAOKI:えぇ! 意外。
小島:デビュー時は毎試合緊張していて、キャリア10年ぐらいになったときですかね、自分の体や試合内容にも自信が出てきて、徐々に緊張しなくなっていったんです。それが今、改めて緊張するようになったのは、これは不安からくるものなんですかね。怪我をする心配や、若いときには起きなかったトラブルが起きる恐怖を試合前に考えるようになってしまって。でも逆に緊張した方が良い試合になることも多いですし、一人よがりにならずに相手もお客さんもしっかり見れるようになるので、さほど悪いことではないのかなと思っていますね。
── 緊張に対して、小島さんなりのアプローチはありますか?
小島:対処法はあまりないかもしれないですね。結局は自分のキャリアを信じるしかないということですかね。
NAOKI:そうですね。ずっとリラックスしていれば良いかというと、必ずしもそうではないんですよね。僕の場合は、放っておくと緊張しなくなっちゃって、ステージ上でいつも通りの慣れたことしかしなくなるので、それは良くないなと。だからあえて緊張感を出して、気を引き締めるようにしているんです。で、僕なりの緊張感の出し方は、ステージに出る30分前に衣装を決めるとか、ちょっとわざとバタバタするんですよ(笑)。
小島:なんだかNAOKIさんらしいですね。
NAOKI:バタバタすると、焦るじゃないですか。楽屋に衣装をいくつかぶら下げておいて、それを急いでバッと羽織って、「大丈夫、落ち着け」と自分に言うんですよ。平常心を保つのも、緊張感があってのことだと思うので、そのバランスは意識していますね。
小島:今日は緊張感ありますか(笑)?
NAOKI:今日も小島さんと一緒のお仕事っていうので、どんなこと喋ろうかなとか、何を着ようかなとか考えていて、ちゃんと緊張感を持つようにしてきましたよ(笑)。
キャリア25年以上、ロングランを続けるその原動力とは
── 次にお二人の原動力についてもお伺いしていきたいと思います。お二人とも、キャリアを重ねた今、どのような原動力で日々音楽やプロレスに臨んでいるのでしょうか?
NAOKI:たしかに小島さんなんて30年以上もキャリアがあるわけじゃないですか。それでも毎日のようにトレーニングをしていて、そのモチベーションはどこから来ているんですか? だって筋トレとか苦しいじゃないですか(笑)。
小島:いやあ、苦しいですよ。練習も辛いですし、試合だって正直、悶絶するぐらい痛いんですよ。それでも毎日のようにやれているのは、どこかで報われる瞬間があるからなんですよね。例えば、SNSでコメントやメッセージをいただいたり、お会いした人に「すごい! こんなに腕太いんですね」と言ってもらえたり。それは僕だけじゃないと思いますね。プロレスラーは皆、日々のキツいトレーニングや試合を積み重ねているので、それを見てもらえる瞬間っていうのは、何ものにも代えがたい喜びがあるんですよね。僕はそういう喜びを忘れずに大切にしていきたいんですよ。
NAOKI:あのとき札幌で、勇気を出して声をかけて良かったなあ(笑)。
小島:そうですね。声をかけていただける機会ってそんなに多くはないんですけど、それが嬉しくて、過剰なぐらい喋ってしまうときもありますね(笑)。
── NAOKIさんの音楽活動を支える原動力はいかがでしょうか?
NAOKI:僕はね、この世界は皆の技術や芸術で出来ていると思っていて、その一員になりたいって思いです。若いときは「音楽で世界を変えたい」と言葉にしていたんですが、それを言葉にしてしまうことで、想いは同じはずなのに逆に届かなくなる人もいて。それで、「なぜ届かないんだろう」と、このキャリアを重ねる中で若い頃はずっと考えていたんですよ。
小島:LOVE PSYCHEDELICOももうそろそろ25年のキャリアになりますよね。
NAOKI:そうですね。(ボーカルの)KUMIと音楽を始めてからだともう30年、いろんな人に出会って、その一人ひとりに目を向けると、実はみんなで世界を作っている、みんなの力で世界は変わっていってるんだなと気づくようになっていったんです。
例えば、新幹線の洋服をかけるフック、このソファーのフォルム、床の素材だってそうですよ。誰かが工夫を凝らして、一生懸命考えて何かを生み出している。だからなにも突出した音楽や写真のようなアートで世界を変えるということではなくて、僕らがこうやって時代を進めているのは、皆の芸術心や思いが集まっているからなんですよね。だって、今こうして僕らの話を聞いているインタビュアーさんもそうじゃないですか?
── そうですね。そう言っていただけると、私の仕事も無駄ではないと勇気が出てきます!
自分にできることを突き詰めていく。キャリア30年で今思うこと
── 最後にお二人の今後の目標やキャリアの展望などについてもお聞かせください。
NAOKI:そうですね。僕は僕の納得いくまで音楽を作り続けて、未来から見たときに、文化という一つの時代の線を結ぶ、点の一部になっていたいということですね。あとは小島さんを引退させないことですね(笑)。
小島:昨年武藤敬司さんが引退をされて、あれはなかなか思うところがあって。僕の中では「いつまでも現役」と思っていた方が引退してしまったんですよね。武藤さんって僕とは8歳離れているのですが、僕にもいずれそういう時期がやってくるのかもしれないなと思うようになりました。プロレスは体を使う仕事なので、どうしてもいろんな部分にガタが来てしまう。それを考えたときに、プロレスラーとしての時間が限られているんだと感じています。
NAOKI:いつまでも元気にプロレスをしていてくださいよ、小島さん。
小島:NAOKIさんもですよ、お互い若くないですからね(笑)。どうキャリアを終えるのかは意識せざるを得ないですね。ただ、この歳になっても、プロレスの楽しさや面白さはまだまだありますし、これからも突き詰めていきたいと思うんです。今、プロレスをしていて本当に楽しくて仕方がないんです。だからこそ今の自分にできることを考えて、できるだけ多くの方にそれを伝えていければと思っています。
NAOKI:お互い健康には気をつけていきましょうね。
Writer
高山 諒