まったりに手を伸ばせ
Writer:藤岡 みなみ
まったりに手を伸ばせ - 藤岡みなみ

まったりが急務だ。

 

35歳になってやっと確信したことだが、私は基本的に慌てている。

締切前日は他のことが何も手につかないし、カフェで食器が割れる音がしたら客なのに「失礼しました!」と言いたくなる。慌てる必要のないときまで慌てている。アーモンド・チョコが床に落ちていたら大きな虫かと思って飛び上がるし、動揺しやすい。

 

私の焦りゲージは、シャーペンの後ろについているちっちゃい消しゴムにつけるフタぐらいの容量しかないようだ。

 

先日、5歳の子どもが階段で滑って流血した。驚いた私は大泣きする子どもを抱き「どこでどうなったの!? なんでそうなったの!? いいからみんな落ち着いて!」と叫んだ。あんたが落ち着け。

 

プライベートだけでなく、仕事でもいつも焦っている。20代の頃はムチを打つように自分を鼓舞するのが癖になっていた。もっと頑張らないと! もっとできる! 決して休むな!

しかしよく観察してみたら私はそもそもが暴走機関車のようなもので、薪をくべるよりブレーキをかけることのほうがよっぽど大切なのだった。勢い余って踏み外したときのメンテナンスも。

 

されど、落ち着くのは難しい。

リラックスにはコツが必要だ。

 

何もしない、それもいい。何もしないは最高だ。でも基本姿勢が焦りの私には、何もしないことは負荷でもある。何もしていないのか、何もできなかったのか。その境界が不明で、オンオフがうまく切り替えられない。まったりすべきなのにまったりの境地に行けず、時間だけが過ぎていくことがある。

 

矛盾しているようだが、何もしないためには小さな能動性が必要だ。

ベランダに出る、紅茶を淹れる。コンビニに行く、音楽を流す、ポストカードを見る。

疲れすぎていたらそれも難しいのだけれど、それでもなにかしようとするときにスイッチが押される。

 

これまでの人生で真にリラックスしていた瞬間はいつだったろうと考えてみると、スイスの高原で出会った景色が浮かんできた。きりりと白い山々と、流れが早すぎるエメラルドグリーンの川。そんな馬鹿な。だってめちゃくちゃ遠かったし、たどり着くまでに足はパンパン、バックパックで背中もバキバキだった。それなのに、いまでもあの思い出で深呼吸ができるのは何故だろう。

仕事に疲れ、できるだけ遠くを目指した旅だった。全力の逃避行で安らぎを勝ち取った。

 

しかし慌てるたびにスイスに行くわけにはいかない。

そんな時間はないし、体力も気力もなくソファからベッドに移動することすら難しい日もある。

 

そんな時には、旅の写真を見たりする。高原のテラスで瓶ビールを飲む私。台湾の日月潭のペンション。山梨のキャンプ場にチェック柄のレジャーシートを敷いた日。写真を見て心を飛ばす。ただ眺める、をする。頭のてっぺんから出ていた湯気が静かに霧散していく。

 

1mmの能動性でもいい。安らぎに手を伸ばす。まったりは、求めた者に与えられる。

Writer

藤岡 みなみ